2016年04月03日

British postwar 植民地・保護領等々編

1945~1948年 パレスチナ駐留
ユダヤ人組織による武力闘争の活発化により1945年9月からイギリス軍治安部隊が派遣されました。1946年6月29日にユダヤ人組織の一斉拘禁を行い、3,000名以上を逮捕しましたがユダヤ人組織がこれに反撃し、7月22日にイギリス軍司令部があるエルサレムのキング・デービッド・ホテルが爆破され司令部要員多数が死亡しました。
このためパレスチナ統治に困難を覚えたイギリス政府は、1947年1月にパレスチナ統治問題を国際連合に依頼すると発表、1948年5月~6月(?)イギリス軍撤退。第一次中東戦争に発展していきます。
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1948~1951年 エリトリア
第二次世界大戦中、占領してたイタリア軍を追放しイギリス軍が占領。国連委任の下国を管理し続け、イギリスはエチオピアとの統一を支持しエリトリアゲリラと数年間小競り合いをし1952年にはエチオピア・エリトリア連邦が形成されました。
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1948~1960年 マラヤ動乱
日本に占領されてたマラヤを戦後イギリスは再編成・連邦化しようとしたイギリスは中華系住民の反発を招き、1948年にマラヤ共産党MCP全党員に活動開始命令が下達されます。1949年、MCPはマラヤ諸民族解放軍MRLAへと改名。1952年に42万人の中華系不法住民が厳重に警備・管理された居住区へ移動させられMRLA武装勢力は不利な状況へ追い込められます。1955年にマラヤ主席大臣が選ばれ1957年にマラヤ連邦として独立、1960年に1948年から出されていた非常事態宣言が解除されます。
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1949年 中国
国民政府軍と共産軍の内戦から英連邦市民を非難させるため上海から南京へ向かっていたHMSアメジストが共産党軍の砲撃を受け双方に多数の死者を出しました。
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1950年~1953年 朝鮮戦争
1950年北朝鮮が38度線を越え朝鮮戦争が勃発、1953年に休戦協定が結ばれます。
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1951年~1954年 スエズ運河地帯
1936年に締結されたエジプト・イギリス同盟条約にエジプト国内での不満が高まり1951年にエジプト側からこの条約を破棄、駐留していたイギリス軍はエジプトの警察、軍から攻撃を受け1954年にイギリス駐留部隊が撤退します。
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1952~1960年 マウマウ団の乱
1952年からケニア土地自由軍KLFAが各地の白人農場、警察署、政府軍用地、親植民地派のケニア人を襲撃されイギリス軍が投入され1960年に終結。
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1953~1954年 ギアナ
親共的であるとされた人民進歩党が当選、デモ等が相次ぎイギリス軍派遣、ガイアナの自治を停止させます。
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1954~1959年 キプロス紛争
1954年イギリスはイギリスが中東統合軍司令部をキプロスに移します。1955年、キプロス生まれのギリシャ軍将校ゲオルギオス・グリヴァス は不服従運動を開始。キプロス解放民族組織EOKA の結成に発展し反イギリス暴動とテロ活動へとつながりついにイギリスは領有を断念し、1959年のイギリス、ギリシア、トルコの三か国会議の結果、1960年キプロスは独立を遂ます。
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1956年 スエズ動乱・第二次中東戦争
スエズ運河の利権を手放したくないイギリスとフランス、チラン海峡における自国船舶の自由航行権を確実なものとするためにエジプト軍をシナイ半島から追い払いたいイスラエルは利害が一致。1956年侵攻を開始します。しかしアメリカ合衆国・国連・ソ連により圧力を受け、同年に英仏が停戦受諾。結局イギリスとフランスはスエズ運河を失いました。
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1957~1959年 オマーン
1957年オマーン第7代国王サイードと反政府派イマームによる内戦が勃発、イギリス軍SAS、RAFが介入し1959年に国王派が鎮圧に成功しました。
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1958年 ヨルダン
1958年反欧米・アラブ統一・社会主義のアラブ連合共和国が成立。アラブ連合共和国に対抗してヨルダン王国とイラク王国が合邦しアラブ連邦が成立。暗殺されかけたフセイン王がイギリスに派兵を要請し、アラブ連邦の解消を発表して身を 守った背景があります。
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1960~1961年 カメルーン
すみません・・・

1961年 クウェート ペルシャ湾
1961年クウェートがイギリスから独立。カセム政権が豊富な石油資源を狙いクウェートへ侵攻する構えを見せましたが、憲法と議会は存在したが全く機能せず、イラクの侵攻を食い止める力が無かったためクウェートはイギリスに派兵を要請します。
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1962年 ブルネイ動乱・アザハリの反乱
1962年ブルネイ人民党PRB急進派によるスルタン制及びブルネイのマレーシア連邦参加に対する反乱が起こります。警察署などが襲撃されスルタン政府はPRBの反乱に対し非常事態宣言を公布し、イギリスの軍事介入を求めた。その結果、PRBの反乱は失敗し、その後の厳しい弾圧でPRBが壊滅状態に陥りました。
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1963~1966年 ボルネオ
1962年のブルネイ動乱を契機にボルネオ島周辺の情勢は悪化の一途を辿り、ボルネオ島全土を自国領としたかったインドネシアのスカルノ大統領は1963年からカリマンタンから国境を越えて兵を送り込みます。また、ボルネオ島北部には中華系を中心とする秘密共産主義組織CCOがいました。ボルネオを植民地とするイギリスはこれに対しイギリス軍・イギリス連邦軍・マレーシア軍からなる部隊を編制して対応しました。1964年からイギリス連邦軍は越境攻撃作戦を開始し、1966年には軍上層部から支持されなくなったスカルノ大統領はクーデターで失脚します。
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1963~1976年 オマーン
1963年ザンジバル王国が独立。独立直後からイギリス統治下で強化されたアラブ系住民とアフリカ系住民の対立は止まず、1964年にアフリカ系住民の主導でザンジバル革命が勃発し、5,000人から8,000人に及ぶアラブ系住民が虐殺された後にザンジバル人民共和国が成立します。1965年ドファール解放戦線DLFによるドファールの反乱が激化、オマーン保護領主であったイギリスが鎮圧に乗り出しこの内戦は10年ほど続きました。
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1963~1967 イエメン アデン ラドファン
1962年イエメンでソ連の支援を受けたクーデターが勃発し王政が転覆、国外に脱出した君主であるイマームは反クーデター軍を組織、これに対しソ連・イエメンは民族解放戦線NLFと南イエメン解放戦線FLOSYを支援し対抗します。1963年イギリスは軍の援助を行います。SASもアデン港、ラドファン山岳部等で活動しましたが1967年にイギリス軍は撤退、作戦は失敗におわります。
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1969~1998年 北アイルランド紛争
1969年カトリック住民と警察組織との間で大規模な暴動が繰り返され同年にイギリス軍治安部隊が派遣されます。1972年北アイルランド政府に自治能力なしとの判断を下したイギリス政府は直接統治に乗り出します。1998年にベルファスト合意がなされ形式的には紛争は終わりを迎えますが現在も散発的な暴動・事件・問題は続いてます。
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1982年 フォークランド紛争
1982年3月にアルゼンチン海軍艦艇がフォークランド諸島のイギリス領サウス・ジョージア島に2度にわたって寄航し、イギリスに無断で民間人を上陸させ4月2日にはアルゼンチン正規陸軍が同島に侵攻。4月25日にサウス・ジョージア島にイギリス軍が逆上陸、即日奪還、6月7日にはフォークランド諸島に地上部隊が上陸、6月14日にはアルゼンチン軍が正式に降伏。戦闘は終結します。両国の国交が再開され戦争状態が正式に終結したのは1990年2月5日でした。2013年3月10~11日イギリスへの帰属の是非を問う住民投票が行われ、諸島の全有権者1672人の約92%が投票し、このうち98.8%がイギリス領帰属を支持イギリス領帰属の支持票が圧倒的多数となりました。
British postwar 植民地・保護領等々編

というわけで第二次世界大戦後のイギリスが関わってきた戦争の大きな流れをまとめようと思いましたが・・・無理でした(笑)大まかに説明しようとしたせいで要点ごと省略してしまい結果、歪になりわかりにくくなりました。タイトルに「編」とありますがもうやりません。





Posted by 南斗水鳥拳聖 at 23:17│Comments(2)
この記事へのコメント
こうして見てみますとエゲレスは戦後もドンパチしまくってますな~
Posted by なが at 2016年04月03日 23:25
これでもいくつか抜けてると思うのでイギリスの凄さを痛感させられますね…
国外に駐留していた部隊なんかもまとめるとどうなるのやら(^^;
Posted by 南斗水鳥拳聖南斗水鳥拳聖 at 2016年04月05日 07:35
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